スカイフレア

同人誌『スカイフレア』より
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スカイフレアとドクター

 レユニオンの一件が済んでから暫く経った。作戦続きだった日々が終わり、しばしの休息——とはいかないものの、プライベートな時間を作る余裕は出てきた。とはいえ、舞い込んでくる仕事量は変わらない……。今日も今日とて、白い紙に書かれた堅苦しい文章を視界に入れては、サイン欄に自分の名前を書く。はじめは慣れなかったこの名前も、今ではすっかり身に沁みついている。
 何枚かにサインをし、ふと目線を上げる。その先には本棚の前でファイルを広げ、手際よく書類を片付ける秘書の姿があった。ゆるくウェーブした長い茶髪は、窓から差し込む日の光で艶が増しており、同じ色の長い尻尾はゆらゆらと揺れている。オレンジ色の瞳が輝き、伏せた長いまつ毛に色気を感じる。
 スカイフレアは黙々と書類を整理していく。ファイルから抜いた書類をそばのローテーブルの上に置き、新しい書類に差し替える。一枚一枚書類を確認し、次々と書類をやっつけていく姿は見ていて関心してしまう。
 二つ目のファイルに手を伸ばした時、スカイフレアが大きく息を吸い込んだ。すぅ、という音は聞こえず、微かに肩と胸が動く。そのまま、音もなく静かに息をゆっくりと吐きだす。
 こんな姿を見るのは、何度目だろう──
 スカイフレアが何か悩んでいるのは明らかだったが、わかりやすい溜息もつかないし、表情も態度も、いつも通りだった。それとなく聞いてみたりもしたが「悩み?あなたの仕事の手際の悪さが悩みでしてよ」と眉をひそめられてしまった。弱みを見せず、一人で解決するのが彼女のやり方なのだろうか。無理に聞き出すのもよくないが、こうして秘書として常に一緒にいると些細な変化に気づいてしまう。それを見過ごすのも心苦しい──

「スカイフレア、休憩にしよう」
 彼女を見ながらそう声をかけたが、スカイフレアはこちらを見る事なく返事をした。
「ええ、どうぞ。わたくしはこちらの書類を片付けたら、休ませてもらいますわ」
「いや、今二人で休憩するんだ。療養庭園に行きたいから、付き合ってくれ」
「は──?」
 こちらを見てきょとんとするスカイフレアの手を取り、足早に執務室を出る。後ろで「ちょっと!」「お待ちになって!」と聞こえるが、無視して歩みを進める。握った手が熱い。スカイフレアの体温をこうして感じるのは初めてだが、本当に『熱い』という言葉がぴったりだ。

 療養庭園について、ようやくスカイフレアと肩を並べた。少し早く歩きすぎたのか、スカイフレアの息が若干上がっている。
「まったく」
 大きくため息をついて長い髪を整えながら、黄昏色の瞳が睨みつけてきた。
「わたくしにはわたくしのペースがありますのよ。強引に連れて来て、一体どういうつもりですの?」
「ああ、歩くの早かったよね。ごめん。あっちにベンチがあるから、そこに行こう」
「いえ、わたくしは仕事の話を……、ちょっと、ドクター!」
 握った手を離さないまま、庭園の奥へと進んで行く。こんなことをして、きっとただでは済まないだろう……。

 目当てのベンチに腰を掛け、空を見上げて大きく深呼吸をする。少し冷たい空気が肺の中に入ってくると、気分もリフレッシュされる気がする。
 スカイフレアは少し不機嫌そうな顔でベンチに座ると、周囲をゆっくりと見渡した後、同じように空を見上げた。
 会話をしないまま数分、二人で空を見る。
 ゆったりと流れる白い雲、青い空、あたたかな日差しと、時折吹く冷たい風。
 いつも一人でしている気分転換を、今はスカイフレアと共にしているのがなんだか不思議で、少しだけ緊張した。無理矢理連れて来て、気分を害してしまったであろうことは、なるべく気にしないようにする。
「いつも、こうしていますの?」
 小さな声で、空を見上げたままスカイフレアは訪ねてきた。
「庭園に来るときはね。ここに座って、空を見ながらぼーっとしてる」
「そう……」
 会話が途切れる。
 スカイフレアは何を考えているのだろうか。何も考えていないだろうか。少しでも、抱えているものが楽になればと思っていたが……。
「たまにはこうして、外で休息を取るのも悪くありませんわね」
「うん。コーヒーでもあれば最高なんだけどな」
「折角の緑の匂いをコーヒーでかき消してしまうなど、無粋ですわね。……でも確かに、紅茶が欲しくなりますわね」
 くすり、とスカイフレアが微笑んだ。
「……スカイフレアが微笑うところ、初めて見たかも」
 意識せずに言葉が出てしまった。スカイフレアは少し驚いたような顔でこちらを見てきた。いつも閉じられている口が少し開いているから、本当に驚いているのだろう。
「わたくし、笑ったことありませんの?」
「あー、いや。そういう意味じゃなくて……」
 笑ってはいるのだが、凛とした表情でいることが大半で、今みたいに気が抜けたような、柔らかい微笑みを見るのは初めてだった。それが新鮮で、綺麗で──
「確かに……、笑うなど、久しくしていない気もしますわ」
 太ももに載せている自分の手を見つめながら、「ロドスと協力し合うようになってから、心が休まる日などありませんでしたわ……。今も……レユニオンを……」と、静かな声で思いを吐露してくれた。
「今も?……スカイフレアは……、王の杖は、レユニオンの壊滅が目的だったんだろ?それならもう……」
 スカイフレアは大きくため息をつき、ひょいっとベンチから立ち上がった。両腕を大きく伸ばし、つま先立ちになって空を仰いで体を伸ばす。
「そうですわね。わたくし達の目的は、もう果たされましたわね」
 その声は『清々しい』とは程遠いものだった。
 青い空を見上げるスカイフレアの後ろ姿は、どこか切ない。
 風が吹き、長い髪が揺れる。
「わたくし……、わたくしが、……レユニオンを、潰したかったですわ」
 普段なら絶対に言わないであろう物騒な言葉が、スカイフレアの口から漏れる。
「それくらい恨んでますのよ、わたくしたちのフィルを殺めたレユニオンを。殺めた当人はわたくしたちで裁きを下しましたが、あんな暴動を起こした方々を、本当に、赦せませんわ……。今だって、投獄されているあの方を、……はぁ」
「スカイフレア……」
「それが叶わないのなら、せめて前線に行きたかったですわね。あの日わたくしは、あの場所から離れたところで行動していましたから。全てが終わったと、これ以上の攻撃はしなくていいと言われたとき、何も考えられませんでしたわ」

 だって、わたくしはなにもしていない──

 振り向いた顔は、ほんの少し寂しそうな、辛そうな、今まで見せたことのない表情をしていた。
「確かにレユニオンはこの手で何人も葬ってきましたわ。でも、そういうことではありませんのよ……。わたくしが直接手を下したかった……。ロドスと協力を結んだのも、その為ですもの。それが出来なかった、機会は巡ってこなかったのが……、未だに燻っていますの」
「そうだったのか……。何か悩んでいるようにみえていたけど、そういうことだったのか……」
「ふふ、話す気はありませんでしたし」
 再びベンチに座り、こちらを見ながら
「本当に、あなたは不思議な人ですわね、ドクター」
「不思議?」
「ええ。先ほど手を引いてくれた時、不思議な気持ちになりましたの。何かが晴れていくような……、扉が開いたというか……。とにかく、不思議な気持ちですわ。一緒に空を見上げていたら、なんだか話したくなってしまって……。ふふ、なんでしょうね、この気持ちは」
 はにかみながらそんなこと言うスカイフレアは綺麗で、可愛くて、とても無邪気に見えた。普段、仕事をしている時には見られない表情だった。
 手に熱を感じた。
 スカイフレアの手が重ねられ、そして少し──ほんの少し、力が込められた。
「また連れて来てくださいな。こういう時間をあなたと過ごせたら、わたくし……」
「もちろん。今度はコーヒーも持ってこよう」
「あら、わたくしは紅茶の方がよろしくてよ」
 重ねられた手をそっと握り返して、そのあと暫く二人で空を眺めていた。


 ◇ ◇ ◇

 ある日の休日、自室のデスクの前に座し、地質学のレポートと睨めっこしていた。これっぽっちも進まないし、折角淹れたコーヒーはすっかり冷めている。
 自分の左手を見る。手のひらは色白く、細い指の先からは少しだけ爪が見え隠れしている。これくらい伸ばしていた方がネイル映えするのだが、切った方がいいのだろうか——
 そんなことをぼんやりと考えながら、ドクターの手の甲の感触を思い出す。思ったより大きくて、硬く、骨張った手だった。頼りないと感じていたが、男性なのだなと実感する。
 あの時はドクターの手の上に自然と手を重ねられた。溜め込んでいたものを吐き出して、それを受け止めてくれたから、きっと安心していたのだ。握り返されて、それも嬉しかった。ドクターの目は優しくて、吸い込まれていくようで——もしあのまま見つめ合っていたら、どうなっていただろう。
「はぁ」
 冷えたコーヒーを一口飲む。飲み慣れない苦さが口の中に広がって、香りが鼻から抜けていく。こうしてため息をつくと、コーヒーの香りが顔の周辺にまとわりついてくるように感じる。
「だめですわ。進みません……」
 椅子から立ち上がり、デスクを片付けないまま寝室へ赴く。

 黒いジャケットを脱ぎ、ブローチとタイを外す。ベルトも外し、スカートを脱いで、シャツを脱ぐのは面倒だったので着たままベッドに身を放り出す。白いシーツはふかふかで、いつだってスカイフレアを優しく包み込んでくれる。
「最近は、ずっとドクターのことを考えていますわね……」
 こんなこと初めてで、どうしたらいいのかわからない。
 秘書に任命された時は、こんな風になるとは思っていなかった。ドクターの仕事の手際は悪いしミスは多いし、予定は忘れるわ朝は弱いわ……。頼り甲斐のない兄……、というよりは、子供のようだった。
 いつからだろう、男性として意識しはじめたのは——
 やはり療養庭園で話をした時からだろうか。あの時から距離が縮まった感じがする。
 作戦が始まる前の凛とした声、的確な指示。終わった後の労いの言葉……。ドクター自身は何も変わっていない筈なのに、あれ以来特別に感じてしまう。事務仕事をしている姿ですら、たまに格好いいと感じてしまうのだ。
 自分が変になってしまったようだった。
「今頃は、何をしているのかしら——」
 休日が来る度にこんなことを考えている。ドクターは何をしているのか、誰と話しているのか、気になって仕方がない。出来ることなら休日も一緒に過ごしたい。
「なぜ、秘書なのでしょうね……」
 白い枕に顔を埋め、目を強く瞑る。秘書でなかったら、遊ぶ仲になれただろうか。いや、秘書だからこそドクターのことを意識しているのだ。秘書でなかったら一緒に過ごしたいと思わなかっただろう。近くにいるから、あの時話を聞いてくれたから、意識しているのだ。

「ん……」
 両手を胸の上に置き、人差し指で丘の上を撫でる。シャツとブラジャー越しでは強い快楽にはならないが、じっくりと自分を高めていくのにはうってつけだった。少しくすぐったい感覚とピリっと走る快感により、布越しでも乳頭が硬くなっていくのがわかる。
 ドクターを想うと、躰が疼いてしまう。
「はあ……」
 小さいため息ではあるが、無音の部屋の中では大きな声に聞こえる。自分が熱っぽい声を出していることが少しだけ恥ずかしいが、それも興奮する要因になる。
 爪を立て、胸のてっぺんをカリカリと掻く。撫でている時よりも数倍強い刺激に、シーツが捩れ、皺が増えていく。
「んっ……、はぁっ、ふぅ……」
 目を瞑り、ドクターのことを想像する。ドクターの顔、声、仕草、手の感覚……。「スカイフレア」と名前を呼んでくれるドクターのこと……。あの指で胸を触られたら、どうなってしまうだろう……。付き合うとか、彼女になるとか、そんな瞬間は想像出来ないのに、その後のことはいとも簡単に想像出来てしまう。
 ドクターの優しい口づけ、胸を撫でられ、服を脱がされ、肌に唇が這う感覚……。太ももをそっと撫でられ、指が秘部にあてがわれる。
「はあっ……」
 シャツのボタンを外し、ブラジャーのホックを外す。脱ぐ時間もなんだか惜しくて、そのまま乳頭を触ることに専念する。
「んっ、んん……、ドクター……」
 人差し指の腹で乳首のてっぺんを撫でたり、摘んだりして気持ちがいい刺激を求める。次第に下半身の疼きが増してきたので、右手を股間に伸ばす。ストッキング越しに疼く場所を触ってみるが、思ったような刺激が来ない。
「くぅ……、ふぅっ、ん……」
 足を広げ、少し腰を持ち上げてみる。自分がどんな格好をしているかなんて考えていない。ドクターが触っている妄想を続けているだけで、秘部の水気が増していくのがわかる。同じところを何度も擦られ、耳元で囁かれたい。可愛いよ、いやらしいね、と——
「ああっ、ドクター……っ!わたくし、もうっ……!」
 下腹部の奥の方がきゅっと締まる。
「どく、たあ……っ!ああっ!ああう!」
 目の奥で小さく弾ける閃光、股間の奥がぎゅううと締まり、全身に力が入る。乳首がピンと上を向き、呼吸が少しし辛い。
「はあっ、はあっ、はあっ——」
 胸を上下させ、懸命に息を吸い込む。ぼーっとするこの感覚が心地よい。

 ここ最近はいつもこうだった。ドクターを想うと切なくなり、気付けばドクターのことを考えながら自分を慰めている。指を膣内に入れなくても、クリトリスをろくに刺激しなくとも、達することが出来るのはドクターを思えばこそ——

 ◇ ◇ ◇

「スカイフレア……?あの……」
 低く、優しさを感じる声で名前を呼ばれてハッとした。声の主はパソコンのモニター越しに、ソファに座っているスカイフレアを心配そうに見つめている。
 スカイフレアの手にはドクター宛の報告書が握られており、指の側からチリチリと音を立てて黒くなっている。
「え……、えっ!」
 慌てて手を離し、書類が燃えるのを阻止しようとしたが、一度燃えた紙はじわじわと燃え広がっていく。

「どうしたの?書類燃やすの、今ので三回目だけど……」
「も……申し訳ありません……」
 半分炭化した書類をシュレッダーにかけながら、己の集中力のなさに嫌気がさす。書類自体はまたプリントすればいいものだったし、ドクターのサインもすぐ終わるものだが、手間をかけさせていることには変わりない。それが今日だけで、短時間の間に三回もあったのだ。さすがに酷い。
「何か悩みとかあるの?俺でよければ聞くけど」
「悩み……」
 集中出来ない理由はわかっている。日々募るドクターへの想いである。一人きりでいる時は今何をしているか気になるし、こうして一緒にいる時も好きな人はいるのかとか、もっとプライベートなことを話したいとか、そんなことばかり考えてしまっている。
 それを、話すことなど出来ない。出来るわけない。
「あー……、いえ……。特に悩みはありませんわ」
 我ながら下手な返答をしてしまった、と思ったが、今更である。ドクターは「そう……」と言うと、そこから沈黙してしまった。仕事もろくに出来ないのに心配までしてもらって、その優しさを無碍にしてしまったことで心が痛む。
 ドクターのことが好き、と言えたら、どれだけ楽になれるだろうか。しかし、言ってしまえば今の関係は壊れてしまうだろう。ドクターがスカイフレアにする対応は、他のオペレーターと同じものだから。

 それから数日、ドクターとスカイフレアの会話は最小限なものになった。業務であっても、分からないことがあれば聞き、答えるだけ。目も合わさず、お互い黙々と仕事をするだけ。本来はこうあるべきなのだ。好きとか、話がしたいとか、そう思うことが間違いなのだ。仕事をきっちりこなせばいい。スカイフレアが秘書としてドクターのそばにいる理由は、それしかないのだから。
「よし、休憩しよう!」
 ドクターは勢い良くチェアから立ち上がると、ソファに座るスカイフレアの隣に立ち、そのまま手を取り執務室を出ていく。
「ちょっと⁉︎あなたねぇ……!」
 いつかあった光景。ずんずんと歩くドクターの背中と、ドクターの手。このままいけば療養庭園につくだろう。またあのベンチに座り、空を眺めるのだろう。
 そんな強引なドクターの行動に、少しだけ……、いや、とても喜んでいる自分がいた。

 案の定、ドクターは療養庭園へ行きいつものベンチに腰を下ろした。スカイフレアもそれに倣い、ベンチに腰を下ろす。
 あの時とは少しだけ違う青空。日差しが少しだけ強くなり、空気も暖かくなっている。
「強引すぎますわ……」
「うん」
 ドクターは悪びれもせず返事をする。
「最近、スカイフレアから拒絶されてるような気がするから、ちゃんと話さないとと思ってね」
「拒絶など……」
 してないと言えば嘘になる。
 これ以上一緒にいては、仲良くなってはいけないと思う。ドクターを求めすぎてしまう。
「俺、スカイフレアのことが好きだよ」
「へ……」
 一瞬で心臓が高く跳ねたような感覚になる。
「仕事出来るし、戦場でも頼りになるし、研究も立派なものだし……。若いのに凄いと思う。見習わないとなあって思うよ」
「あ……、ありがとうございます……」
 褒められて嬉しいのだが、期待した『好き』ではなかったので落胆の方が激しい。なんとも複雑な気分だ。
「それに美人だし、足も綺麗だし」
「……どこを見てますの」
「足」
 と、ドクターは黒いマスクとフードを外し、真剣な目でスカイフレアを見つめてきた。黒い髪、少し切長の目元、綺麗な鼻筋に、少し薄い唇。おそらく男性の中でも整った見た目だろう。そんな顔に見つめられて、思わず目を逸らしてしまった。カッコよくて、恥ずかしい。
「俺、気が利かないし、女性の気持ちもさっぱりで、きっとスカイフレアの機嫌を損ねることをしたんだと思う。だから仕事中目も合わさないし、雑談もないんだって思ってる」
「仕事中に雑談をする方がおかしいのでは……」
「いや、まあそうなんだけど」と言って頬をぽりぽりと掻く姿が視界に入る。それを見ただけで気持ちが緩んでしまう。
「だから、何がダメだったか話してくれないか。すぐ直すことは無理かもしれないけど、努力する」
「ダメなとこなど……」
 ドクターにダメなとこなど、感じたことがない。他より少し書類をまとめる能力が低く、集中する時間も短く、よく手が止まり、仮眠する時間は長い。オペレーターに捕まると中々仕事に戻ってこないし、仕事したくないとよく口にしてはこちらのやる気を削いでくるし……。意外とあるではないか。
「あー……、まあ、仕事をもっと早くして下されば……」
「スカイフレア、人には出来ることと出来ないことがあるんだ」
「努力はどうしましたの、努力は」
 本当に、おかしな人だ。

 青空を見上げる。
 このままだと、気持ちを全て吐き出してしまいそうだ。
 ドクターなら受け止めてくれるのではないか。好きと伝えて、断られても、いつものように接してくれるのではないか……。そう思ってしまう。
 しかしそんなことは起きないだろう。
 告白して関係が崩れ去った友人たちを思い出す。あんなに仲が良かったのに、一気に距離があいた友人たち。いつも通りの笑顔なのに、寂しそうだった。

「好きな人がいますの」
「……え」
「最近の悩みですわ。わたくし、好きな人が出来ましたの。その人のことを考えると、仕事が疎かになってしまいます。好きな人のことを考えないようにすると仕事は捗りますが、無口になってしまいますわね。それだけのことですわ」
 適当な嘘をついても良かったのに、本当のことを話してしまった。ドクターがどんな反応をするか見てみたかったのもあるし、吐き出して少しでも楽になりたかった。性格が悪いと思うが、おかげて少し、ほんの少しだけスッキリした。ドクターと名指しはしていないが、好きと伝えられたような感覚になれた。
 ちらり、とドクターの方に目をやると、眉間に皺を寄せ、口を固く結んでいた。明らかに動揺している。
「あ、あの……。ドクター……?」
「……それって、ロドスの人間?」
「え。えぇ、そうですが……」
「俺も知ってる人?」
 よく知っているだろう。いや、記憶喪失だから知らないとも言えるのか……?しかし自分自身という意味では知ってる人だろう。
「知っていますわね……」
「……」
「……」
 なんだかおかしな空気になってしまった。
 こんなに食いついてくるとは思わなかったし、目を見つめられながら相手が誰か探られるとは想像もしていなかった。誰のことが好きなのか気になるのだろうか。なんとも思っていない人の好きな人が、気になるのだろうか。好きな人の好きな人ならまだしも……。

 まだしも——

「——ッ」
 一気に顔が熱くなったような気がした。心臓が早鐘のように響く。

 ドクターは、わたくしの好きな相手が、気になる……?なぜ?好奇心から聞いているようには感じられない。ドクターの視線が熱い。顔が熱い。頬が熱い。どんな表情になっているか分からない。平静を装わねば。そんな、ドクターもわたくしのことが好きとか、そんな、そんなこと——

「スカイフレア」
「はひっ」
 上擦った変な声が出てしまったが、そんなことを気にする余裕がなかった。
「すごくわかりやすい」
「う……」
 わかりやすいのか……、と少し気落ちしたが、同時に気持ちが全て伝わってしまったと思うと、それどころではない。いや、まだ好きとはっきり伝えたわけじゃないから、伝わったと思うのは早計では——
 ふと、手の甲に温かみを感じた。目線は動かせない。ドクターの手が自分の手を包み込んでいるところなど、直視出来ない。出来るわけがない。
「俺、スカイフレアのこと、好きだよ」
 脳内に響き渡る、甘い声。何を言われているか理解しているのに、はっきりと受け入れられない。脳がふわふわとしている。
「それは、さっきも……」
「女性としてね、異性として、好きなんだ」
「……」
 心臓が止まってしまいそうだった。もしかしたら止まっているのかもしれない。だって、あんなに煩く響いていた心臓の鼓動が、全く聞こえないのだ。息もしているか怪しい。
「好きなんだ、スカイフレア」
「あ……」
 言葉が出てこない。
 返事をしなくてはいけないのに。
 わたくしも好きですと、伝えなくては……

「ごめん……」
 手から温もりが離れていった。手の甲に当たるそよ風がほんのり涼しく感じるほど、熱がこもっていたらしい。
 ドクターは立ち上がると「仕事に戻ろうか」と言い、歩き出した。

 ダメだ
 行かせてはいけない
 返事をしなくては
 ごめんなどと、言わせたままではいけない
 ドクター……ちがうの
 ドクター、わたくし……わたくしも……

「……」
 無言でドクターの腕を掴んでいた。
 聞こえなかった心臓の音が煩い。きっとドクターにも聞こえてしまっているだろう。
「……スカイフレア?」
「ちょっ……、ちょっとだけ、お待ちになって……」
「ん、うん」
 少し強い風が吹く。
 髪が靡いて顔にかかる。スカートが翻るが、抑える余裕はない。
 今はドクターに、気持ちを伝えなくてはいけないのだ。身だしなみなど、気にして……。
 いや、みっともない見た目のまま告白は出来ない。

「ドクター」
 ドクターの正面に立ち、まっすぐ瞳を合わせる。片手で髪を抑え、片手はドクターの腕を掴んだまま。怖くて離せなかった。離したら気持ちまで離れてしまいそうだったから。
「わっ、わたくしも、ドクターが……、す、すき、ですの……」
 言った。言えた。言えた……。顔は見れなかった。腕を掴んだ手は、今も離せない。ドクターが好きと言ってくれた。自分も好きと伝えた。両想いなのに、なぜか不安になる。
「嬉しい」
 ドクターの声が胸に染み込んでいく。
「両想いかー」
「そ、そうですわね……って!」
 背中に腕が回される。視界がドクターの服でいっぱいになって、においが近い。
「はあ……。嬉しいよ、スカイフレア……」
 抱きしめられて頭の中が真っ白になってしまった。
 嬉しいのに、同じ気持ちだと伝えたいのに、声に出せない……。
「うーん、スカイフレアは本当に分かりやすいなあ。さっきよりも熱いし、火傷しそうだよ。顔も分かりやすいし、何よりも耳と尻尾は素直だね」
「そ、そんなことは……」
「かわいい」
 もう限界だ。もう、無理だ。
「いじわる……」
 恥ずかしくて、嬉しくて、自分がよく分からなかった。こんな気持ちになったのは生まれて初めてだ。
 顔を上げると、ドクターの顔が近い。今までにない近さだ。
「キス、してもいい?」
「……はい……」
 ちゃんと返事が出来たか不安だったが、ドクターの手が頬に触れ、顔が一層近くなった。返事は伝わったようだ。
 目を瞑り、触れた唇の感触に集中した。
 ドクターの唇は少しだけカサカサとしていた。きっと緊張しているのだろう。そういう自分はどうだろうか、長いことリップクリームを塗っていないが……。

 暖かい日差しと温かい腕の中で、スカイフレアの頭の中は未だに真っ白なままだった。
 心臓は煩い。でも、目の前の人の心臓も、煩い。
 この煩さを、もう少しだけ楽しみたいと思えた。



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